先ほどまでの緩んでいた自由な沈黙とは異なり、隊員達は統率された沈黙を保っていた。
左舷に立つアルフは両手に武器をとっており、反対に右舷に立つジンは両腕を組み目を閉じている。
両者の間に位置するバッファは、しゃがみながらも揺れる船体で自身とボウガンを多角的に素早く固定させる体勢を試行錯誤しているようだ。
ステンはまっすぐと正面を見ていたがほんの数秒、下目で甲板の隊員達を見て再び正面を直視する。
波で揺れる船に逆らうかのようにステンは大きく舵(かじ)をまわす──
──暗い海の奥底。音のこもった世界。
水中で不安にさせるような低い音の中を突き抜けるように、暗い海の中を『何か』が次々と通過していった──
海底とは裏腹に、海上では舵(かじ)で船体がきしむような音と波の音、そしてそこにほんの少しの風が吹く高い音が混じっていた。
晴れていた空は今ではやや黒い雲に覆われ、そこから落ちた一粒の水滴がアルフの額へとこぼれた。
それが後から雨だと気づき、天気を気にして上を見たアルフにステンが操舵場(そうだば)から声をかける。
「気にするな、大雨にはならんはずだ」
「──了解」
雲から少しずつこぼれる雨に反応するように、ジンもまた目を開いて、前を向いたままつぶやいた。
「──来るぞ」
「……え?」
──音と光がないに等しい海の世界でひたすらに突き抜けて動いていたソレは、はるか上に見える海面の光に向かっていく。
水中に映る無数の泡のような軌道が素早く駆け抜け、その『何か』が水面へと到達すると──
波を叩きつけた音とともに、海がしぶきをあげた。
打ちあがった海水の中に青いヒレが一瞬目に映り、ソレはそのまま高く上空に飛び上がりピィィィイという少し耳に触る鳴き声を発していた。
「アル!頼む!」
バッファはそのうち上がったソレに一射目を当てる選択肢をはなから放棄し、その着地の軌道を追っていた。
海面から高く飛び上がって左舷の船上に降下してくるのはステンが言っていた水棲魚(すいせいぎょ)である生物サハギン。
鱗(うろこ)で覆われた魚の身体に背中にはトサカが立っており、ヒレのついた三本指の手足でサハギンは着地してこちらを見るが──
顔を上げたサハギンの目前は大きな影で覆われていた。影の正体はアルフレッドだった。
少ない助走でのけぞるように飛び込んだアルフはその勢いを利用し、目いっぱい握りしめた両手の短刀をサハギンの顔へとかがむように突き刺した。
刃が刺さった胴体からにじむように甲板に赤い血がこぼれ、サハギンはピクピクとまだ脳だけが機能しているように痙攣(けいれん)していた。
足でサハギンの胴体を抑えるようにアルフは短剣を引き抜くとサハギンは倒れ、頭への攻撃が致命傷だった事を理解した。
まだピクピクと痙攣(けいれん)した死体のサハギンを横目で見つつも、血のついた自身の短剣を見ると死体からどこか目をそらすようにアルフは振り返った。
定位置に戻ろうとするアルフの背面から2つ、海水とサハギンらしきものが水しぶきとともにまた打ちあがった。
高さの到達点に達した一匹のサハギンに一本の矢が突き刺さるとそのまま船の範囲から押し出されるように海面へと落ちていった。
残りのもう一体は直接アルフを目掛けて牙の見える口を開いて降下してきたので、アルフはこれを直接迎撃しようと短剣を持った右腕を引いたその時──
予想しない突風が吹くとともに、船体が大きく揺れた。
「えっ」
「はぁ!?」
慣れない船上での戦いにその揺れは二人の体制を崩した。
バッファはボウガンの狙い先が合わず、アルフは迎撃の体勢が完全にズレてしまった。
アルフはとっさの判断で引いた右腕を攻撃に転ずる事をやめ、引いた腕の方へとそのまま身体を流し、転がる事でサハギンの攻撃を回避した。
慌てて体勢を整えてからアルフが踏み込むと同時に、イチ早くボウガンの矢がサハギンの額を貫くのを目視しながらも、追撃で胴体を切り刻んだ。
「大丈夫か?アル」
「うん、ありがと」
「船の戦いやべぇな」
「水上戦だとこういう事もあるのか」
「やるなおまえら!ここからさっきの突風が何度か吹くぞ!」
「おいおいウソだろ?」
「狙い通りだ!そのためにわざわざこんな所まで来たんだからな!帆を揚げきってくれ!その風はホルンに吹く風だ!風に乗じて一気にこの海域を出る!」
「アルフは帆をやれ。バッファと引き続き迎撃。帆に当たらないように注意しろ。その後アルフと俺とで左舷右舷隅に展開。バッファはステンさんの隣にポイント変更」
「──了解!」
アルフが両翼へと帆を広げるためのロープを持つためにバッファに近づくと、今度はジンのいる右舷側の海水から水しぶきが連続で打ちあがる──
「チッ今度は3つかよ!」
サハギン1体をボウガンで撃ち落とし、残った2体のサハギンが船上に振って来る。
ジンは腰を落とし、右半身を引いた構えから右手を押し出すと、目に見えない衝撃がサハギンを弾き飛ばし、その反動でさらに左手を押し出すと左手から衝撃破のようなものでもう一体のサハギンも船外へ押し出した。
その圧倒的な対応力にポカーンとバッファは死んだばかりのサハギンの死体のように薄くピクピクと笑った。
「ハハ……すげぇ」
「エーテルじゃないぞ。ただの気弾だ」
アルフが帆のロープを引っ張って左舷隅に向かうと、海水から上半身だけ一体のサハギンが浮かんでこちらを見ている。
左舷側のロープのひっかけながらも、こちらを見ているサハギンを不気味に思っていた。
(サハギン……こっちを見てる……?いや、今はそれどころじゃ……はっ)
サハギンは口を開くと、口元に薄く水色の光が収束していく──
──バッファとジンが飛び出してくるサハギンを警戒している最中、左舷後方奥の海で何か爆発した。
それを察知し、何かあったのかとジンとバッファが見てみるとアルフが手先から煙が上がっており、アルフがファイラランスを使った事を認知した。
「おいおいアルフ!魔法は……」
「隊長!すみませんとっさの判断でした!水面にいたサハギンがエーテルで船を狙ってました!」
「なんだと?チッ……イレギュラー(特殊個体)か……ポジション変更!帆のセットアップ完了まで左舷にバッファ右舷に俺がつく!海面に見えた個体を優先で撃破!」
「──了解!」
「急げよアル!」
──ジンとバッファは海上で顔を出すサハギンに警戒しつつ次々と打ちあがるサハギンを倒して時間を稼いだ。
そのかいもありアルフはマストの帆が全力で開くように固定する事が出来きステンへと声をかけた。
「ステンさん!」
「上出来だ!次の突風が来たら一気に加速する!その際に吹き飛ばされんなよ!」
バッファの放った矢が海面のサハギンの額へと突き刺さると、その体が吹き飛びそうなほどに再び突風が吹いた。
「おわっと!」
「ここだろうよ!」
ステンは大きな舵(かじ)を寸分狂いなくここだと狙い打った位置へと決め打つと、その瞬間に誰もが船体が浮いたのかと錯覚するほどに船は加速した。
大きな風が吹けば抵抗する事が常識だったはずが、突風が追い風へとなるという事がアルフやバッファにとっては初めての貴重な経験だった。
「ヒュウ!すっげぇえ!!」
うれしそうにバッファは後ろを振り返る。
さっきまで幾度なく水しぶきで打ちあがっていたサハギン達は、自身が打ちあがった時には落ちるべき船がはるか前方にいて、再度海に潜っていくしかなかった。
危機は乗り越えたとステンの元に寄っていったアルフは、薄く笑顔を浮かべながらステンへと静かに手をグーにしてステンに差し出すと、ステンもため息のような息を吐きつつも舵を取りながら右手をコツンと当てた──
そして一行はアルメリア領ホルン海岸に着く事ができたのだった。しかし──
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